2016年09月28日

大事なのは目的

昨日の夜は、実践哲学の勉強会
しかし、今までの勉強会とは少し内容が違っていた

今までは何かのお知らせがあったら
それを絵姿を出して解いていく、というやり方だったのだが

昨日は勉強会の運営について話し合いを行った
これはとても大切なことである

その中で私が一つ確認の意味を込めてこう切り出した
「この勉強会の目的ってなんなのでしょうか?」

そこで出た回答はこうだ
・法則を知ること
・法則に従って実践をしているかを確認すること

これを明確にしておかないと
いくら運営上のルールをつくってもなし崩しになってしまう
下手をすると、お悩み相談質に陥ってしまうからだ

そうではない
人の事例から、そこにある法則とはなんなのかを悟ること
これが勉強会であって、悩みを解決することが目的ではない

今後も、ここを履き違えないようにしていかねば
  

Posted by ひろさん at 10:00Comments(0)当来佛の教え

2016年05月25日

ご神示は回数ではない

久々に当来佛の教えを書くことにする

ご神示、というのがある
これは神さまに判断を委ねるときに使うもの
神さまは「イエス」か「ノー」でそれに答えてくれる

かつては、このご神示を1日1000回立てなさいと言われていた
だから、なんでもかんでもご神示で聞いていた

最初の頃は慣れるためにも、ある程度の回数が必要なのは理解できた
だが、本当にそれで良いんだろうか?
疑問は持っていた

昨日の勉強会で、ご神示の立て方について学んだ
そもそもご神示は、本来あるべき姿へと導いてくれる、非常に貴重で神聖なもの
だからこそ、一つ一つのご神示にどれだけ心をこめて、貴重さを持って立てるかが肝心

あまりにもホイホイとご神示を立ててしまうと
自分で考えなくなる
なんでもかんでも「神様の言うとおり」になり、一つ一つの重みがなくなる

大事なことは、ご神示を立てる前にしっかりと自分で考えること
いや、自分ではなくできれば「自分たち」で考えること
その上で、この判断が正しいのかのご神示を立てる

また、「イエス」「ノー」には段階がある
例えば、とあるファミレスで食事をしようと思って、ここで食事をしてよいかの判断にご神示を使ったとしよう

そこで「ノー」が出た
ならば、その後一生そのファミレスで食事をすることが「ノー」である、というわけではない
あくまでもその場、その時が「ノー」であるだけ

なのに、神さまがそう判断したからと一生そのファミレスに近づかないのは間違い
今、どういう理由で「ノー」なのか、そこを考え、さらにご神示で答えを導き出すことが大事

例えば時間が悪いのか、日にちが悪いのか
はたまた、一緒にいく友人が原因なのか
それとも、そこで何かを話そうとしている内容が悪いのか

この「ノー」の段階を悟ることのほうが大事であって
単純に「イエス」「ノー」だけを見ることが大事なのではない

ご神示は回数が大事なのではない
一つ一つの判断から何を悟るのか
イエスにはイエスの、ノーにはノーの理由がある
これがわかるようになるために、ご神示は存在している
  

Posted by ひろさん at 10:00Comments(0)当来佛の教え

2016年04月20日

信仰を持つことの大切さ

信仰を持つ、というと
すぐに新興宗教にかぶれたのか、と思う方もいるだろうが

私たちは、特に日本人は
自分の都合の良い時だけ、神さまを頼るという意識がある

受験前に神社にお参りに行く
赤ちゃんが生まれる前に、安産祈願をする
商売繁盛を願って、お祈りをする

では普段はどうなのか?
自分の都合だけで神さまを信仰しても
それはわがままといもの

大事なのは、常に神佛に心を帰依すること
今、平穏無事に生かされていることに対して、感謝の念を持つこと
これが信仰

そもそも、神佛とは世の中の法則のことである
サムシンググレート、と呼ぶ人もいる
なんらかの力があって、その力に従って動けば
まず間違いはない

その神佛がキリストだろうがブッダだろうがアラーだろうが関係ない
どのようなものを仰いでもよい
私たちはこういった見えない力によって「生かされている」ことを意識する
これが大事なのだから

まずは、朝起きたら今日一日をスタートできることに感謝
寝る前には今日一日無事に過ごせたことに感謝
これが信仰のスタートであると私は感じている
  

Posted by ひろさん at 10:00Comments(0)当来佛の教え

2016年04月13日

目の前のことを

昨日の実践哲学の勉強会でこんな言葉を頂いた

「今、目の前のことを一生懸命やればいい」

これは当来佛の言葉でもある
つまり、未来のことをあれこれ思案するのではなく
今、与えられたものを全力を尽くして行う
これが大事だということ

とはいっても、まったく先のことを考えないということではない
それでは行き当たりばったりになってしまう

行き当たりばったりでご神示をしてしまうと
それは単なる当てもの、占いと同じ

ご神示はさとりのためにある
さとりとは、差を取ること
差とは、神様と人智との間のこと
この差を取ることは、神様の意図を知ることになる
意図を知って、その意図に従うことがさとりである

ただ安易にご神示を立てるのではなく
どうすれば目の前のことをうまくやれるのかを考え
その考えが合っているかどうかをご神示で確認する

ノーならば、他にもやり方があるはず
それをさらに考えていく

どうしてもその意図がわからなければ
絵姿を頂き、神の意図を知る

常に神の力を借りて、一つ一つを組み立てていく
そうやって、目の前のことを一生懸命やる
これが私たちが与えられた使命である  

Posted by ひろさん at 10:00Comments(0)当来佛の教え

2016年03月30日

複雑なメッセージではない

全てのことには意味がある
これはよく聞く言葉です

神は常に、私たちにメッセージを送っています
しかし、残念なことにそのメッセージは直接的なものではありません

病気になった
これは、今までの生活を改めなさい、というメッセージ
しかし、神が耳元で直接
「生活を改めないと病気になるよ」
とは教えてくれません

さまざまな出来事の中にあるメッセージをどう解いていくのか
そして、そのときの判断が正しいのか
実践哲学では、それが正しいかどうかをご神示で判断します

しかし、ここにハマり過ぎると、突飛な考え方をしがちになることも
まるでトンチでも解くかのように、通常では考えられない方向で解こうとしてしまいます

そのときのひらめきならばいいのですが
なかなか考えつかずに、ああでもない、こうでもないと深読みしすぎてしまう
こうなると、人智(人の考え)が入ってしまいます

神はそんなに複雑なメッセージは出しません
もっと私たちに、わかりやすく気づけるようなメッセージを出してくれます

まずは素直に受け止めること
そして、ひらめきを利用してそこにある意味を考える
これが大事なんだということを、昨日は学べました
  

Posted by ひろさん at 06:36Comments(0)当来佛の教え

2016年03月11日

知恵を出し合う

当来物の勉強会「実践哲学」
この勉強会に行った時に、よく思うことがあります

それは
「みんなで知恵を出し合うことの必要性」
です

ここに集まる人の多くは、ご神示をもらっています
つまり、神と対話をできるんです
といっても、イエス/ノーの答えからですけど

今抱えている問題、悩みに対して、絵姿をもらったとき
とある人物を示された時に、それが誰なのかは、すぐにはわかりません
当事者が「この人だ」と思っていても、それが正解かどうかはわからないんです

だから、まずは当事者がご神示で、思い浮かべた人が正解かをききます
イエスなら問題ないのですが
問題はノーが出た時

さて、だれだろう?
ここで集まった人の知恵が働きます

「こういう人では?」
「◯◯さんは?」

いろんな意見を出し合いながら、みんなでご神示を立てて絞っていくんです
そうして、ようやくその人が誰なのかがわかります
多くの場合、想定外の意外な人物だったりします

これは人を特定するだけでなく、今から何をやるべきなのかを考えるときも同じ
まずはみんなで知恵を出し合う
そして、その行動が正解なのかをご神示でうかがう

この繰り返しです

ここで大事なのは、みんなで知恵を出し合うという行為
当来佛も、そうやって物事を決めていくことを勧めています

間違えてはいけないのは、一人の人が全てを考えて、その答えが会っているのかを複数人でご神示をたてるのではないということ
みんなで考えてから、みんなでご神示を立てる
これが正解だと私は解釈しています

どんなにえらい先生でも、行っていることが正しいとは限りません
意外にも、何も知らない人のアイデアや言葉のほうが正解だったりすることも

ここでもう一つ大事なのは、みんなで考えた答えを、当事者が謙虚に受け止められるかどうか
神さまはそれを見ているんだな、と感じています

実は、今私にもとある二人の人物の話を聞きなさいという宿題が出ています
二人共意外な人物でしたが、これを実行するつもりです

さて、結果はいかに?
  

Posted by ひろさん at 06:13Comments(0)当来佛の教え

2016年02月17日

形而上、形而下は両輪である

実践哲学での教え
それは一見すると「形而上」、つまり目に見えない世界のことだけを勉強しているように見える

確かに、私達が今まで知らなかった、眼に見えない世界の法則を知ることで
ものごとが順調に回りだしたり、まわりの人を幸せにすることができる

が、危険なのは
「形而上のことだけをやっていれば、全てがうまくいく」
と錯覚をしてしまうこと

形而上のことは神佛の法則だから、これはとても大事なことです
けれど、そのことばかりに執着してしまい
目に見える世界の勉強を疎かにしていると

「自分のことの勉強もしっかりしなさい!」

とお知らせがくる


とある方のお話だけど
その方は経営者
自分の分野のことは、とても詳しい
それに加えて、実践哲学で学んだ形而上のことも詳しい

けれど
「経営」
ということに対しては、勉強をきちんとしておらず
こんな感じでいいかな、という気持ちでやっていた

そのせいか、最近は「お金」に関してのお知らせがおおく出てきて
そこで困っているという

けれど、この問題の本質は「お金」ではない、と私は感じた
お金を使って、この人に何かを知らせようとしているはず
これを、何人かでディスカッションして出した答えが

「経営の勉強をしましょう」

だったんです
つまり、経営者としての形而下の勉強を疎かにしていたということ
だから、お金だけじゃなく、人の問題でもちょっとトラブルがあったんです

当来佛も、形而上と形而下は両輪である、とおっしゃっています
片輪ではダメ
両方揃ってこそ、ものごとはうまくいく

私は形而下の勉強はいろいろとやってきたけれど
形而上の勉強をしていなかったから、うまく行かなかった時期がありました

けれど、この勉強をやり始めて
最近はものごとがうまく回り始めています
ありがたいことです

勉強は一生をかけてつづけていくもの
これからも、形而上と形而下、両方の勉強を続けていき、さらに情報も発信し続けていきます  

Posted by ひろさん at 05:44Comments(0)当来佛の教え

2016年02月05日

悟りとは

佛教に限らず、宗教を学んでいると
「悟り」
という言葉が出てくる

悟りとは、目覚めることをいう、というイメージがあった
ブッダやキリストが何かを悟り、それを人に伝えたのが宗教
そう思っていた

が、実践哲学の勉強をやっていると、誰でも
「悟り」
ができることがわかった

そもそも「悟り」とは
「差取り」
すなわち、差を取ることを言う

何との差を取るのか
これは神と人間の差を取ること
つまり、神と同じ考えをすることを言う

神と同じ考えなんて、誰でもできるわけがない
そう思いがちだが、実はこれができちゃう
その方法がご神示なんです

判断に迷った時に、神にその判断を委ねる
これをやるのはイエスか、ノーか

たったこれだけのことなんです
そして、その判断に従う
ここで人智を入れてはいけない
私たちは、つい自分の過去の経験や学びでそれを判断してしまう

じゃぁ、過去の経験や学びは必要ないのか?
いや、そうではない
その行動を導くためには必要なこと

最後に、その行動を行って良いのか、他に方法はないのか
その判断を神に委ねる、ということ

会社で難しい案件に対して、その決済を社長に委ねることとやっていることは変わらない
だが、難しい案件に対しての計画を立てるには、経験や知識が必要となる
だから私たちは形而下の勉強をしなければいけない

悟りは誰にでもできる
きちんと学び、きちんとした心がけを持っていれば
私もおかげで、仕事が順調に回っている
家庭も紆余曲折ありながらも、思えば順調である

これも、悟りを意識し始めた結果だろうな  

Posted by ひろさん at 06:21Comments(0)当来佛の教え

2016年02月03日

その教えの本質は

今、勉強している実践哲学
そこでは当来佛のさまざまな教えを頂いている

というか、お互いに話しながら気づいていくようにしている
といったほうが正解

一人の人の事例を、深く解いていくことで、その人自身に対して神からの宿題がわかる
と同時に、周りの人も一緒になって考えていくことで
そこからの教えを深めていくことができる

ただし、それは人が考えたこと
正解かどうかはわからない
だからご神示を立てて、みんなで判断をする

こうやって勉強していくと、いくつか疑問が湧いてくる
例えば、とある人は
「当来佛はお酒を呑むことはダメだとおっしゃった
 だから、お酒はいけないものである」
と説いている

最初はそれが正解だと思っていたのだが
ふと疑問が湧いた

だったら、お酒を作っている人はいけないことをしているのだろうか?
お神酒はいけないものを神にささげているのだろうか?
矛盾点が出てくる

そのことを質問したら、こういう考え方が出てきた

おそらく、当来佛はお酒で身を滅ぼしそうな人に対してそう言ったのだろう
けれど、周りで聞いていた人は
「お酒はダメなものなんだ」
という部分だけを切り取り、お酒はいけないものとして周りに広げたのではないか

そもそも、そういったたぐいのことは方針書には書かれていないとのこと
教えの本質はなんなのか
そこをしっかりと、ご神示を立てて見極めないと

先輩や先生のいうことが全て正しいわけではない
その教えの、本当に伝えたいこと
この見極めが必要だ

そう考えると、この勉強は奥が深い
そう感じた
  

Posted by ひろさん at 05:41Comments(0)当来佛の教え

2016年01月27日

これもお知らせ

昨日はちょっとおもしろいことが起きました
これを紹介する前に、この教えをお伝えします

私達の身の回りで起きていること、これは全てお知らせである
しかし、そのお知らせの意味は、その場で何なのかを解かないといけない
お知らせとは、神が教えてくれる啓示であるのだから

たとえば、病気になったとしましょう
その病気には、必ず原因があります
つまり、病気とは何らかの原因を取り除きなさい、という合図なんです
これがお知らせです

で、昨日起きた面白いこと
昨日の夕方、インターネットでとある調べ物をしていました
自宅なので、WiFiは間違いなくつながっています

なのに、突然ページが更新されなくなったんです
おかしい、他のところは?
別にページを開いても、それが開かない

ちゃんとWiFiはつながっているのに
スマホだと、ちゃんとつながっている

ホント、突然でした
直前までちゃんとつながっていたのに

仕方ない、こういうときはパソコンを再起動だ
そう思って、再起動させている間に、夜出かける準備をしていたんです
そうしたら、夕方読もうと思っていた本を目にしました

この本、夜出かけるときに返そうと思っていた本
ここでわかりました

「あ、こんな調べ物をするよりも、この本を優先して読まないと」

つまり、突然ネットがつながらなくなったのは、本を読みなさいというお知らせ、合図だったんです
この解釈で良いのかを、ご神示を立てたところ「イエス」でした
てなことで、それから小一時間かけてその本を読みましたよ

こういった、日常生活の上でちょっとした変化、出来事が起きたら
これは全てお知らせである、ということを悟ることが大事なんです
そこには必ず意味がありますから

神は常に私たちに、何かを悟らせようと啓示をしてくれます
しかし、直接「こうだよ」と教えてはくれません
そこに気づくかどうか、ここが大事なんです

今回は、こんな軽い啓示でしたが
人生では「どうしてこんなに苦労させられるの?」というような啓示もあります

しかし、その苦労、苦難はかならず福を呼ぶためのもの
その方向に行っていたら、その先は危ないよという啓示なのですから
それをきちんと乗り越えれば、必ず福は訪れます

神は平等です
みんなに、幸せになってもらうためにさまざまな啓示を出してくれています
私たちは、それを悟るための修行をさせられているんです

そう考えると、苦難も苦難じゃなくなりますよ  

Posted by ひろさん at 06:18Comments(0)当来佛の教え